私はここも通解は違うと思っているのだった。
男は、大阪の女との生活に幸せと安定を見つけてしまったのだと思う。「俺はここでこの若い女と幸せに生きられるんだ」とわかったとき、存在の根幹から震撼したのだと思う。
女のこさえる飯も旨かった。まったりと、のんびりとして、さほどカネに苦労することもなく生きることができる。まあ、昔の女は捨てなくてはいけないが、あれは化粧もしないと見られたもんでもないし、あれも相応の年になったのだから、わかってくれるだろう。それにまったく捨てるといったものでもないし、光の君よろしく、たまに行ってやれば喜ぶだろう。いいじゃないか。オールラウンド・ハッピー。
というところで、男は死にたくなったのだと思う。もういいよと思ったとき、そのまま古女房のもとに戻った、と。
大阪の女は若いのだろうし、男を愛してもいたのだろう。そしていつか別の男に飯をもって、それはそれで幸せに暮らせのだろう。幸せ、いいじゃないか。
男はそうは生きられないし、そうは生きられない女もいる。それが奈良の女の生きる姿でもあった。
幸せに生きられる人はいい。不幸のなかに老いていくエロスを見つめる男というものもある。
そういう女もいる。そのあたりの裏の物語を、その次の第二十四段は描いている。そこでは別の男と幸せを見つけたはずの女が、突然すべてを捨てて死に疾走する。
この続く第二十四段物語が第二十三段の裏の物語だということも、世阿弥は見抜いていた。
男は、大阪の女との生活に幸せと安定を見つけてしまったのだと思う。「俺はここでこの若い女と幸せに生きられるんだ」とわかったとき、存在の根幹から震撼したのだと思う。
女のこさえる飯も旨かった。まったりと、のんびりとして、さほどカネに苦労することもなく生きることができる。まあ、昔の女は捨てなくてはいけないが、あれは化粧もしないと見られたもんでもないし、あれも相応の年になったのだから、わかってくれるだろう。それにまったく捨てるといったものでもないし、光の君よろしく、たまに行ってやれば喜ぶだろう。いいじゃないか。オールラウンド・ハッピー。
というところで、男は死にたくなったのだと思う。もういいよと思ったとき、そのまま古女房のもとに戻った、と。
大阪の女は若いのだろうし、男を愛してもいたのだろう。そしていつか別の男に飯をもって、それはそれで幸せに暮らせのだろう。幸せ、いいじゃないか。
男はそうは生きられないし、そうは生きられない女もいる。それが奈良の女の生きる姿でもあった。
幸せに生きられる人はいい。不幸のなかに老いていくエロスを見つめる男というものもある。
そういう女もいる。そのあたりの裏の物語を、その次の第二十四段は描いている。そこでは別の男と幸せを見つけたはずの女が、突然すべてを捨てて死に疾走する。
この続く第二十四段物語が第二十三段の裏の物語だということも、世阿弥は見抜いていた。